
こんにちわ!
irukaです!
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みなさん、秋田県に、羽後交通 横荘線という地方私鉄があったことをご存じでしょうか?
羽後交通 横荘線は、かつて、奥羽本線 横手駅と羽越本線 羽後本荘駅を結ぶ目的で建設が始められた地方私鉄です。
この羽後交通 横荘線の資料を横手市雄物川町にある「雄物川郷土資料館」で見ることができます。

入口には、かつて使われていた横荘線の転轍機の一部が展示してあります。

そして、なかに入ると、郷土に関するたくさんの資料が展示されていて、その一画に横荘線に関する資料が展示されているコーナーがありました。


順番に見ていきましょう!
当時の写真が展示されてあります。

小型のディーゼル機関車が牽引する貨物列車のようです。

腕木式の信号機が使われています。
なぜかホーム上に信号機があるのが不思議です。

当時の貨幣価値がわかる旅客運賃表です。


横荘線で使われていた合図灯と手旗です。
光源に灯油が使われていた合図灯のことを「カンテラ」と呼んでいたそうですが、この合図灯はカンテラではないと思われますが、不明です。
今ではレトロな雰囲気とビンテージ感があってカッコイイですね!
サボも、車両に吊り下げていたことがわかります。
展示されていたのは、沼館行きのサボです。

左にあるのは、列車の一番うしろに取り付ける後部標識(テールランプ)ではないかと思います。おそらく貨車に付けていた後部標識ではないでしょうか。
その横には、「浅舞(あさまい)」「沼館(ぬまだて)」「船沼(ふなぬま)」の駅名標があります。
車掌の腕章は国鉄のものと同じタイプですね。当時、乗務員の腕章などは国の規定などで決められたものがあったのでしょうか?

駅員や車掌が使っていた検鋏(けんきょう)です。
今はハサミではなく、スタンパーが使われていますね!

制帽。赤いラインのものなので、駅の助役の制帽と思われます。

羽後交通の前身・横手鉄道 横荘線の営業を許可する免許状です。
大正4年に発行されています。
羽後交通は、横手鉄道という社名で発足した会社で、後に雄勝鉄道と合併して、社名が羽後交通株式会社となりました。
現在は、秋田県南の路線バスを運行するバス会社として営業しています。
なお、雄勝鉄道に関しては、こちらの関連記事もご覧ください。
そして、免許状を発行した、当時の内閣総理大臣が「大隈重信(おおくましげのぶ)」です。
歴史を感じますね!

当時のレール、川崎車輛のメーカー票、車両に取り付けていたと思われる羽後交通のエンブレムなどです。

昭和5年の横荘線沿線図です。

当時、羽後里見駅で使われていた実物の駅名表です。
手書きですね!
すばらしい!


そして、羽後交通 横荘線が廃止されたときの「さよなら乗車記念きっぷ」です。

「横荘線の一コマ」
当時の写真がたくさん展示されています。

駅事務室の様子ですね。

乗務員と、横荘線を利用して通学していた高校生たちでしょうか。

横荘線の走る横手盆地は豪雪地帯。
冬には、たくさんの雪が降ります。
当時、積もった雪を貨車に積んで、鉄橋で川に捨てていたんですね!
おもしろい!



保線作業の様子ですね!
当時は、今のように高度な保線機械もないと思いますので、人力による保線作業であったことがわかります。
これぞ鉄道の原点ではないでしょうか!


ほのぼのとしたなかにも、その表情から活き活きと生きる人々の様子が伝わってきます。
今よりずっと不便だった時代とは思いますが、当時の人たちのほうが活き活きと生きている感じがします。
半世紀前の地方私鉄の姿を、横手市雄物川町にある「雄物川郷土資料館」で見ることができます。
ぜひ訪れて、鉄道のノスタルジーに触れてみてください!
(^^♪
おすすめです!
なお、羽後交通 横荘線に関しては、こちらの本がとても詳しく書かれています。
羽後交通 横荘線について詳しく知りたい方は、ぜひチェックしてみてください!


【かつて存在した地方鉄道に関する記事】
【鉄道系の資料館に関する記事】

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