現在、奥羽本線の地域輸送を担う普通列車は、701系電車が主力となっていますが、701系電車が主力となる前は、ED75形電気機関車が50系客車を牽引する客車列車が主力となって活躍していました。
これは、横手駅5時34分発の山形行きの始発列車、424列車です。
50系客車10両に、最前部と最後部にED75形電気機関車が連結されています。
写真左側のED75形電気機関車は最後部の機関車で、テールランプ(後部標識)が点灯しています。
列車の組成は「プッシュプル」のかたちをしていますが、これは勾配がキツイ区間を運転するからという理由で「プッシュプル」のかたちをしているのではありません。
この列車は、途中の湯沢駅で客車10両を4両と6両に分割します。
分割された山形方の50系客車4両は、最前部のED75形に牽引されて、そのまま山形行きの424列車として運行されます。
そして、秋田方の50系客車6両は最後部のED75形に牽引されて湯沢6時37分発の秋田行き3423列車「快速おものがわ」となります。
そのため、最後部にも機関車が連結され、プッシュプルのかたちとなっていますが、最後部の機関車は、無動力回送の機関車であるため、本来のプッシュプルではありません。
最後部のED75形は、いわば回送扱いの機関車なのです。
当時、このような運行形態は、山形~天童間、秋田~八郎潟間などでも見られました。
機関車が客車を牽引して運行される列車は、鉄道の原点とも言える運行形態でしたが、折り返し駅で機関車を付け替える必要があることから、客車と機関車の解結作業や駅構内での機関車の入換運転が発生します。
そのため、操車係員が常駐する大きな駅でしか折り返し運転ができませんでした。
このような機関車の付け替えが必要な客車列車は、時代の変化とともに、駅での折り返し運転が運転台の交換のみでできて、車両運用の使い勝手が良い電車列車に置き換えられることとなりました。
1993年6月、ED75形電気機関車が50系客車を牽引する普通列車は、701系電車に置き換えられ、鉄道ファンに惜しまれつつも奥羽本線から姿を消してしまいました。
【思い出の列車シリーズ】
コメント
こんばんは。
客車の普通列車、とてもいい雰囲気に感じます。
確かに機関車の牽く列車は、駅にも多くの人手が必要となり、やがて消えていく運命にあったのだろうと思います。
電車がワンマンで走り、駅も無人駅になっている今の鉄道の姿は、お写真の当時からすればあり得ない程に寂しいものとなっているのではないでしょうか。
夜行列車で乗った客車の感覚、きっともう二度と出会えないのではないかと思っています。